「こども」「子供」「子ども」? 教員経験者が考える表記の問題

教員時代

「子供」「子ども」という表記

今後記事を書いていく上で気になる方がおられると思うので、最初に確認しておきます!

私の記事では「子供」と漢字で表記します。

「子ども」とは書きません。

教員をしていたときは「子ども」と書かざるをえなかったですが…笑

理由は、「子供の供には『供え物』の意味があるため、主体性を認めない表現である」

という考えの方が多かったからです。

んなわけあるかー!笑

「供」の意味

「子供」の「供」はあくまで「複数を表す」ものです。

昔は単数なら「子」、複数なら「子供」といっていた。

ただそれだけ。

今は複数の意味が薄れてなくなってしまっているんですね。

同じ表現に「仲間達」などで使う「達」があります。

「友」なら単数、「友達」なら複数。

…あれ? と思いませんか?

そう、「一人の友達」というように、単数表現が可能なのです。

もちろん「一人の友」の表現の方が自然だと思う方もいるでしょうが…。

もっと言えば、「友達たち」という表現はどうですか?

言えそうな、言えなさそうな笑

これも「言える!」と思う方が一定数おられるはずです。

一方で「さすがに無理やろ…」と思う方もおられるかと。

今まさに、「達」という表現は、「複数を表す」という意味を失いつつあるのです。

あと100~200年もすれば、「達」に含まれる複数の意味はさらに薄れるでしょう。

「友達たち」という表現も一般化するはずです。

とにかく「複数を表す」だけなのですから、そこに深い意味を見出す必要なんてないんです。

他の漢字の意味について

他の漢字の意味を見ていきましょう。

「民」という漢字は誰しもが知っていると思いますが、この漢字の意味をご存じですか?

これには「目玉を潰された奴隷」という意味があります。

「民」は奴隷なのです。

一方、奴隷でない場合は「人」を使います。

なぜここには注目しないのでしょうか。

また「県」という漢字は、「逆さに吊られた罪人の首」という意味があります。

たしかに言われてみれば「首」という漢字をひっくり返すと「県」に似てますよね。

「県」の方が少しなんやかんやがついてますがそれもそのはず。

この下についているのは「垂れ下がった髪の毛」ですから。

怖い話です。

そこにある違和感

「『子供』という表記はふさわしくない!」と声高に叫ぶ方々は、

「『国民』という表記は『国みん』にせよ!」と言っていますか?

〇〇県という表現はいいんですか?

「民」や「県」に注目しないのは、分かりにくいからっていう理由だけでしょう。

分かりやすいものに注目してつるし上げることは、私は好きではありません。

本質的ではないと思うからです。

子供の一面を見て評価してはならない、その子にも良いところがたくさんあるからと、

教育実習中にも研修中にも言われましたが…。

上っ面だけを見て判断してはいけないということですよね。

じゃあ「供」という表現はどうなのでしょうか。

本当にダメなんですか…?

私は「子供」と書くつもりでいます。

まとめ

ということで、現役の教員だったときはなかなか言えなかったことを言ってみました笑

もちろん個人の考え方があるというのは前提です。

好きに書けば良いと思います。

それが日本語の良いところですから笑

ただ少し立ち止まって考えてみても良いんじゃないかなーと思ったので。

いろいろと考えるきっかけになっていればうれしい限りです。

ではまた次回!

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